温故知新  「磐梯山」

標高1819m、独立峰のこの山は、ある意味では福島県を代表する山といっても過言ではありません。中通り会津とをへだてる峠を越えると、そこには美しい裾野をひいた磐梯山が眼に飛び込んできます。松林越しに夏の青空にそびえる磐梯山、日ごとに紅葉の衣が山頂を目指して登っていく秋、けがれのない純白、神々しいまでの清らかさを見せる冬、そして残雪による雪形「虚無僧」が里へ告げる田植えの季節。四季おりおりを、会津の民と共にあった磐梯山です。南に広大な猪苗代湖を、北には裏磐梯の無数の湖沼群をもつこの流麗な磐梯山は、古来より信仰の対象でありました。古代人は、神や先祖の魂というものは高山に降臨し、寄り付き、里を加護しているものと堅く信じていたわけです。磐梯山は天にかけられた梯子(はしご)であるとも考えられていたのです。この山の神の名は「石椅神」。つまり、石の梯子という意味で磐梯山そのものがご神体ということです。言い伝えによりますと、和銅年間、地方開発のため勅命により大山祇命埴山姫命の二柱を奉斎したのが始まりで、なんと1300年の歴史があるということです。最初の呼び名は「峯明神」。この一帯を「美禰」と呼ぶのは、そのころの名残です。天暦3年には村上天皇よりの勅使があり、社前には、そのとき奉献された「大鹿桜」が残っています。芦名氏滅亡のおりに衰退し、会津松平家の始祖、保科正之公の信を得て再度興隆した。土津神社は、この保科正之を祭った神社であり、石椅神社の末社となっている。明治2年、「磐椅神社」と称するよう民政局より通達があり、現在に至っている。いまでは、土津神社のほうが
本社のように思えるほどですが、うっそうとした森の中の磐椅神社に立ちますと、暑さも忘れ、磐梯山という大自然の懐に抱かれたような、そんな気持ちにさえなっていきます。巨木に囲まれて、時間を超越する。そんな感覚におそわれます。