温故知新 「中善寺」

tamon-wat2004-10-23

市中心部より北東、関柴の地にある古刹である。真言宗の寺だがその開基、開山は不詳。しかしながら、境内薬師堂に座す薬師如来坐像がこの寺の長い歴史を物語っている。すなわち寄木造りで漆箔、螺髪は小にして穏やかなる丸顔。藤原時代の面影を残した鎌倉時代初期の傑作仏像である。「延慶3年」の銘付修理納札を有し、1310年に修理されたことがわかる。国重文指定。中世には大きな霊場であったとも伝わるが、盛衰を繰り返し元禄年間に再興、近代を迎えた。
明治に至り、この寺は自由民権運動の重要な舞台ともなった。会津盆地北部の自由民権運動家の会合の場として使われたのである。この地は会津北方各村から人目を忍んで集まるのに適していたため度々の会合がもたれたのである。明治15年11月26日、各村の農民代表が密かに集まった。席上、不当逮捕された宇田成一の父が宇田の見舞いを要請したため、急に28日の喜多方集合が決定。「喜多方事件」への発火点となっていった。喜多方事件そのものが最初から意図されたものではなく、集団心理がエスカレートしていった結果であったわけだが、この騒ぎを官憲側が上手く利用していた経過を知ることができる。
現在の中善寺周辺は四季折々の自然に恵まれ、市民の憩いの場所ともなっている。裏手には中善寺沼が広がり、背景の大仏山を写している。春の桜、秋の紅葉、冬には白鳥も飛来する。豊かで、美しい自然に囲まれてこの地に佇んでみようではないか。
やわらかき薬師の優しさと、自由民権運動に熱き血潮をたぎらせた先人達に思いを馳せながら・・・。


  • 付記

「見てきたような」文章を書いてしまいました。「薬師如来坐像」のことです。
実はこの仏様はいつでも拝観できるわけではないのです。中善寺は現在無住。管理面
から薬師様は薬師堂の分厚い扉の向こう側にいらっしゃいます。たぶん決まった拝観の時期とか、管理の任にある檀家の方に許可をいただくとかすれば拝観は可能と思いますが、ひとりの仏像ファンとすればとても残念な状態だと思います。恐らくは市民の皆さんでさえ、この鎌倉の傑作をご覧になったかたは少ないのではないでしょうか。仏像とは仏の教えを具現化したもの。つまり拝観することで仏の教えが理解できるものなのです。市立美術館で定期的に展覧するようなことをお考えいただけないでしょうか。喜多方地域には素晴らしい文化資産が眠っています。どうにかして実際に見る事ができるようになりたいものですね。


市役所観光課に新しい職員が入られました。その方はついこの間まで民間の旅行会社に勤務なさっていた方とお聞きしました。市当局の積極的な姿勢の表れと敬意を表するものであります。しかしながら、やはりお役所らしい考え方であるなとも思えたのです。お役所に足りないものを、考え方を取り入れる。これは一見正当に思えます。
でもお役所の中に取り入れたのでは民間の思考もすぐにいろあせてしまわないでしょうか。お役所にとりいれられた瞬間から「お役所化」が始まります。「朱に交われば
・・・」が始まってしまうのではないでしょうか。「やはり野に置け月見草」ではないのですが、民間の思考は民間の切磋琢磨の中からしか光を発しないのだと思うわけなのです。恐らくこの新しい職員の方はご出身の民間会社のノウハウと人脈を活用なさって奮闘なさると思います。同時にお役所の慣例に流されることなく、常に競争の原理原則を持ち続けていかれますこと、こころより希望いたします。