額中の美

tamon-wat2004-12-12

京都や奈良の名だたる庭園を訪れると、「静なる庭園観賞」すなわち座したままで庭園を楽しむことの眼福をあらためて知ることができます。障子や襖を取り払って、柱、長押、敷居や縁などの直線をもって額となし、内側である座敷から庭園を眺めれば、庭園はあたかも額中の絵と化して限定の美を教えてくれるように思えます。禅寺の枯山水でも、雄大な池泉回遊式の庭でも、苔と竹林だけの庭であっても座敷からの風景は四季折々の一幅の絵画のように感じます。
のっけから喜多方を離れたことを書きました。これは私だけの感覚なのですが、喜多方のお蔵の数々を見続けていましたら、蔵のある部分に京都や奈良の額中の美を連想させるものがあったということなのです。それは蔵の入り口であり、窓でもありました。「煙返し」と呼ばれる開口部に施した段差のことです。職人は「襞」とも呼ぶそうですが、扉を閉めたときにこの幾重もの段差が火や煙の侵入を食い止める役目を果たします。庭園とは違って、「煙返し」は外側から見ます。3〜4段の段差はあたかも額縁のよう、しかも遠近法の効果も果たすため開口部をひきたたせます。この造作をこしらえ、一番近くで見ていた職人が開口部になんらかの技を施そうと思うのは自然の成り行きではなかったのでしょうか。鏝絵の発生は存外そんなところにあるのかもしれませんね。そして鏝絵は職人の気分やノリで施されたのかも知れません。
ともかくも、私は京都の庭園とは違って、外側から見る額中の美を見つけました。喜多方の街を歩くとき、蔵の開口部につい眼が行ってしまいます。たくさんの鏝絵を発見しました。喜多方歩きの楽しみのひとつです。あなたはどんな鏝絵を見つけるのでしょうか?


「上海食堂」
戦争が終わって、満州から引き揚げてきた長島ハルが開いたお店です。身一つでの引き揚げに喜多方に着いてホッとしたのも束の間、どうして食べていこうか思案に暮れる毎日でした。ハッと気づいたのが母親の好きだった上海風のラーメンでした。「ああっ、あのラーメンならみんなに好んでもらえるかもしれない。」女の細腕での開業でした。上海ラーメンは塩味スープでした。醤油味のラーメンが主流だった喜多方でしたが、塩味のあっさり味はだんだんと受け入れられていったようです。塩味の喜多方ラーメンの始まりでした。
「坂内食堂」
この「上海食堂」で調理師の修行をしていたのが坂内新吾でした。市内岩月の農家に生まれた彼は黙々とラーメンをつくり、出前に汗を流していました。
やがて、市内押水に小さな産声を上げたのが「坂内食堂」。現在では喜多方ラーメンを代表する有名店です。坂内新吾氏は亡くなりましたが、ともにご苦労なさった奥様坂内ヒサ氏がご健在で宰領されてます。「上海食堂」から「坂内食堂」へと流れているもうひとつの喜多方ラーメンの歴史を是非味わってください。上海食堂も代替わりして営業中です。坂内食堂はいつも長蛇の列ですが、空いてるときは早朝です。あなたがもし旅行者なら、喜多方到着後一番に坂内食堂を訪ねてみましょう。そう9時頃なら待たずに食べれるかもしれません。