冬晴れの喜多方

tamon-wat2005-01-30

時折訪れる青空をまぶしく見上げていました。立春を前に寒さの厳しい毎日です。冬という季節の美しさを見つけましょうなんて言っていた私が、すっかりと「こたつむり」になってしまっていました。
久しぶりの青空に誘われて、長靴をはいて出かけてみたのです。
融雪設備は十分に働いてくれていますが、一歩路地裏へ踏み込むとそこは日陰の雪や氷が待ち受けていて、私の足元を狙っています。キックステップやおよび足を多用して慎重に歩みを進めます。ツルッと滑って、踏ん張った調子に腰を痛めることもしばしばですから雪上の歩行はやはり気をつかうものなのです。雪におおわれたお蔵を探して歩きました。喜多方は雪国ですからお蔵の屋根をトタン張りにしているお宅もおおいのです。なかなか良い被写体が見つかりませんでした。お気に入りの「下三宮」にも足を運びましたが、農家蔵のほとんどはトタン張りでした。綿帽子のように雪をかぶったお蔵は確かに絵にはなるのですが、そこは生活が優先です。雪の落ちやすいトタン張りが全盛なのはいたしかたありませんね。旅人の勝手な希望を満足させるような甘い生活はありませんでした。それでも何枚かの良い写真を撮ることができました。お蔵と雪と冬晴れの青空。とてもきれいでしたよ。「寒い場所へは寒い時に行け」ということ、正解ですね。
長床にも行ってみました。寒中の新宮長床は誰もいませんでした。歩く幅だけ除雪がしてありますが、大半は雪に覆われています。私は長い参道を歩き、静かな拝殿の前に立ちました。私は静寂な空気の中で、幾百年もの時と向かい合いました。青空の下とはいえ、雪眼の私には暗い拝殿の奥でした。屋根からのしずくだけが規則正しい旋律を打っています。そのときでした。拝殿の奥から能装束のシテ方が出てきたような気がして、鼓の音さえもが聴こえてくるようなそんな錯覚にとらわれたのです。
大きな能舞台のように見えるなあと、ずっと思ってきていたので、無人の長床がちょっといたずらをして私に魔法をかけてくれたのでしょうかね。私は「羅生門」を口ずさみながら長い長い時間に頭を下げ、老杉の参道を帰途につきました。
新宮のあたりから見る会津盆地は純白の湖のようです。遠く雄国山の向こうには磐梯山が真っ白な頂上だけをのぞかせています。美しい風景です。私は車の窓を開け、澄んだ会津の大気を胸いっぱいに吸いました。冷たい空気が胸に入ってきます。「ああっ、煙草より美味しいいっぷくだなあ・・・」
冬の陽はやさしく私を包んでいます。