車中にて(その2)

tamon-wat2005-02-08

東京近郊の街を眺めていて気づいたことがもう一つありました。それはシャッターが閉まったままの店舗や、テナント募集の張り紙のある建物が意外に多いということです。「シャッター通り」とは田舎の代名詞にあらずして、東京近郊の街にまで及んできてしまったようです。気がつけば日本全国の街が何処も同じコンビニやファミレスが立ち並び、ボンヤリとしていると、いったいどこの街を歩いているのかわからなくなるような感覚をあなたもお持ちではないでしょうか?わが福島県でも郡山や福島などはまさにミニ東京化されていますし、去年訪ねた城下町米沢ですら同様でした。明るく便利な街は確かに暮らしよいとは思いますが、その変貌の陰で昔からの個人商店がひっそりと姿を消していき、あまつさえその個人商店を飲み込んだ大規模スーパー、大企業ですら時代に追随できずに倒産廃業する始末。あろうことかその倒産した大企業を税金で助けるという現実、自分の商売を駄目にした大規模スーパーを今度は自分達の税金で助けるということに、かつての個人商店主は天を仰いでいました。
日本全国が金太郎飴のような街になって、東京一極に益々集中し、東京近郊の街ですら若者が住まなくなっている現状があります。現代の持つ「利便性至上主義」が数多くの伝統や習慣を消していきます。もちろん私とてその恩恵に浴しているわけですが、せめて私の中だけでも忘れぬ努力をしていこうと、そう思っていることも事実なのです。私が喜多方を大好きな理由のひとつはまさしくこの点にあります。幸か不幸か幹線を外れた街は時代の大波をかぶることが少なくてすみました。おかげでたくさんの時間を刻んだ建物や素朴な人情、習慣が依然として息をし続けているのです。
金太郎飴のような街が増えた今となっては、かえって輝きを増し、その価値に気づき訪れる人々も多くなってきたのです。実際の生活とバランスをとって古き良きものを残していくことは容易なことではありません。しかし、住民の皆さんがみんな意識を持っていること、私にもわかります。画一化されていく日本において今こそ喜多方の時代は到来したのかなと思う所以でもあります。
喜多方を遠く離れた場所でこんなことを考えている自分に少し笑えてしまいました。
ふと窓の外を見やれば、同じような街の風景が続く東京近郊をバスはゆっくりと走っていきます。

先日、FM喜多方にふらりと入ってきた人がいました。「こんにちは」と声をかけると「あのう、地元のみなさんが行くラーメン屋さんを教えてください」とのこと。嬉しくなって、2〜3軒のお店を教えてさしあげました。同時に賢い方だなと感心もしたんです。なにしろ地元の情報は地元の人に聞くのが一番ですものね。そんなあなたを待っています。
というわけで相変わらず、昼にはラーメンを食べています。激しく雪の降るなかを「ぽんぽこ」に急ぎました。上三宮のこの店は市中心部よりはだいぶ距離があります。観光客もほとんど来ません。地元の人や車で移動する営業マンたちの隠れた美味い店になっています。先日、フォーク歌手の因幡晃さんがこの店に立ち寄りました。コンサートの合間をぬっての来店。おいしそうに食べてましたね。夜のコンサートでこの「ぽんぽこ」のラーメンのことを話していました。「いやあ、おかしな名前の店でしたが、とてもおいしかったんですよ。」ってね。
寒いなかを走っていって、鼻水をすすりながら食べるアツアツのラーメン。喜多方ならではのおいしい食べものなんです。こんな冬のラーメンを食べずして、喜多方ラーメンを語る無かれと言いたいところです。
どうです、あなたも試してみてはいかがですか?

  • 写真は雪の恋人坂。いやあ気をつけないと滑ること滑ること。