春爛漫

tamon-wat2005-04-30

喜多方の郊外を流れる川には雪白(ゆきしろ)と呼ばれる濁った水が満々と流れています。飯豊山や周囲の雪山から流れてくる雪解けの水は地表にも地下にも豊富に流れ、水の街喜多方を支えてきました。山のようにあったあの雪は、いまやすっかりと姿を消し、雪捨て場だった濁川の河川敷は「こんなに広かったっけ?」と思うほどせいせいとしていました。
穏やかな春の日差しを浴びて、下三宮の集落を訪ねてみました。東京からの友人と一緒です。堤防上の広い道に車を置き集落にお邪魔をします。つい先だってまでの雪に埋もれた集落の面影はもうありません。農繁期前の静かな農村風景が広がっています。路地を行くたびに、角を曲がるたびに、友人は蔵の風景に驚いています。家紋や屋号、苗字などが描かれた蔵の妻にいちいち驚嘆の声を上げています。こて絵の見事さに感心して動きません。梅の花や、気の早い桜の花が春を告げています。足元の掘割は雪解けの音であふれています。
こて絵の美しい斉藤家のお蔵を見上げていたときでした。母屋の廊下のガラス戸が静かに開いておばあさんが顔をのぞかせました。「こんにちは、お蔵を見せていただいてます。」そう声を掛けると、おばあさんはニッコリと笑みを浮かべて「どちらからかい?」かくしておばあさんとの楽しい会話が始まったのです。88歳になる方でしたが、話す言葉はとても明瞭でしっかりとしていました。おばあさんはこの集落が昭和のはじめに三度の火事にみまわれたこと、その火事の教訓として防火壁の役割を果たすお蔵を各戸で建てるようになったこと、足元の水路、掘割も防火用水の役割を持っていることなど、懇切丁寧に教えてくださったのです。「歳をとってしまったので何も忘れてしまった。」といいながらも記憶をたぐりながら、実に正確に教えてくださったのです。遠いところをみるようにしての思い出語り。私は宝物を掘り当てたような思いでそのお顔を見つめていました。やわらかい日差しを浴びて、その笑顔は輝いていました。年月を超えてきたその笑顔は上品であり、可愛らしささえ感じるものだったのです。貴重なお話を聞くことができました。私たちは丁重に礼を述べ、再び歩き出しました。たった今聞いた話で集落を見る目も変わっています。連なるお蔵の風情も、春の音を奏でる水路の水も、みんな意味を持って存在していました。眼に入っていながら見えていないものがたくさんあります。そんなことを教えられて感慨深い逍遥となったのです。
数日が過ぎて、喜多方には満開の日々がやってきています。まだ冬景色のなかに桜色の雲がそこかしこにわいているかのようです。厳しく、長い冬の間、私たちの待っていたものはこの桜の花だったのかもしれません。四季の頂点を感じてもいます。しばらくはこうして、待ち望んでいた日々を楽しむことといたしましょう。