もうひとつの「靖国神社」問題

tamon-wat2005-05-23

中国や韓国における反日運動が大きく報道されました。かの国の真意が奈辺にあるのやらは不明ですが、いずれにしろ自分に都合の良い「歴史認識」を押し付けたり、歪曲された史実とやらを強制してきたりとか、まったく困った隣人たちであります。
戦後の日本が一度も戦争をすることもなく、他国を中傷することも、ましてや国旗を焼いたりすることもなく60年の長きにわたって平和の実現に邁進してきた事実こそ、正しい歴史認識の賜物と思料する所以であります。
いやいや、語りが堅くなってしまいましたね。ここで問題にするのは反日運動における靖国神社ではありません。
もうひとつの「靖国神社」問題を開陳してまいりましょう。
靖国神社は明治2年6月29日、「東京招魂社」として東京九段に創建されました。
明治12年6月4日、「靖国神社」と改称され、護国の英霊250万柱が祀られています。
創建の理由は幕末・戊辰戦争の殉難者を祀るためのものでした。それも薩長を中心とした西軍の戦没者7751柱のみをお祀りしたものです。以来、西南戦争日清戦争日露戦争そして先の大戦などで国に殉じた軍人・軍属をお祀りしてきました。その英霊の中には台湾、朝鮮の方々も入っています。(欧米列強の植民地経営とは根本的に異質のものであったことがわかりますね。)
前置きが長くなりました。私の主張はただひとつ。
戊辰戦争東軍殉難者の合祀」であります。
戊辰戦争は将軍慶喜に順じて朝廷に恭順の意をあらわし、謹慎していた東北諸藩への理不尽なる攻撃でした。ことさら、このことを取り上げることはしませんが、今となっては、止むを得ず賊軍の汚名を着た東軍殉難者も、新生日本を創るための貴い犠牲者であったということが明白なる認識になっていると思料します。
この認識を広め、ついには靖国神社への合祀を目指すことは東北諸藩の子孫である私達に課せられた使命であり、それをしてこなかったことは子孫としての怠慢でもあったと思っているのです。
そして、その第一声は、この会津の地からこそ望ましいとも思っています。
戊辰戦争最大の激戦地にして最大の殉難者を出したこの会津の地より大きな声を発して頂きたいのです。会津や白河、京都、長岡、函館と戊辰戦争殉難の地は全国に点在しています。
今、会津の地から合祀の声を上げ、全国に発信していこうではありませんか。
戊辰戦争東軍殉難者の靖国合祀」
会津の熱き青年に期待をいたします。

ご意見をお待ちします。



写真は「蔵の寺・安勝寺」
明治27年に建てられた蔵作りの本堂です。
喜多方市内にも戊辰戦争の傷跡はたくさん残っています。殉難者の墓地も市内の各寺に現存しています。合掌。