さなぶり

tamon-wat2005-06-04

「さなぶり」と話しても意味が通じない時代になりました。
「さなぶり」、「早苗振る舞い」の転訛と思料します。
私の少年時代にはみんな説明など必要もありませんでしたが、最近では「何それ?」と怪訝な表情をされてしまうことが多くなってしまいました。
「さなぶり」。
大事な田植えを無事に終えて、やれやれ一安心。
田の神様に感謝と豊穣を祈り、田植えを手伝ってくれた人々を招き、慰労と来年もよろしくという意味をこめて行う宴のことですね。
私はこの言葉を福島のあたりにのみ通ずる方言と思っていたのですが、なんと全国的に通ずる標準語だと知っていささか驚きました。
「さなぶり」は大人の楽しみだけには止まらず、子供たちにも楽しい行事でもありました。
田植えの終わるころ、つまりは今頃ということになりますが、今頃は新緑、若葉の季節でもあり旧暦の五月にもなるころなのです。
連想ゲームではないのですが「旧暦五月」と「若葉の季節」とで頭に浮かぶことがあります。
そうです、端午の節句、柏餅を思い出してしまいますね。(あれっ、それは私が食いしん坊だからだって?)。
私が高校生のころまで、この季節になると友人たちが学校へ柏餅を持って登校してきました。
どうして柏餅なのか?友人たちに訊ねると「さなぶりだから・・・」という答え。
なるほど「さなぶり」には、時あたかも勢いよく天をめざして大きくなっている柏の木の葉を摘み取って、その家庭ごとに自家製の柏餅を作ることも「さなぶり」の大事な要素のひとつだったのです。
まだまだ甘いものが十分だとはいえない時代に、この「さなぶり」の柏餅は子供たちにとってどれほどの意味をもつものであったのか、私も身をもって経験したことがあったのです。

実はこの「さなぶり」という言葉を忘れていました。
しかし、つい先日、近所のおばあさんが我が家にやってきて「そろそろかしわっぱ(柏の葉)を採ってくるかねえ。」とつぶやいたのです。
柏の葉という言葉を聴いた瞬間に私は「柏餅」「さなぶり」と連想していました。
そして
中学・高校の頃の友人が持ってきてくれたいろんな味の、いろんな大きさの柏餅を思い出していたのです。市販のものより倍ぐらいの大きさの餅は久保木君、味噌味の柏餅は遠野君、大福餅にしたのが羽賀君宅の自家製餅でした。
私の家は農家ではなく、従って「さなぶり」の行事はありませんでした。
しかしながら、こうやって友人たちのおかげで日本古来の農事行事を知りえたのです。
そして、こうした農耕文化の伝統を知っていることを誇りにも思っています。
もう既に「さなぶり」の言葉は死語になりつつあります。
農家自体にしろ、機械化が進み、親戚一族をあげての田植えや収穫とは無縁になりつつあります。
こうして消えていく伝統文化は数限りなくあるわけなのですが、せめて知りえた者として、機会あらばこうしてお話をしていこうと、そんな風に思っています。
それはただの感傷ではなく、継承者の義務でもあると、私はそう考えているのです。


  • 写真は恋人坂の上の田んぼです。すっかりと田植えも済み、初夏の陽の光を浴びていました。遠く大仏山も微笑んでいるようです。