紫陽花の詩

tamon-wat2005-07-08


梅雨らしい毎日の会津盆地です。
青苗も木の葉もしっとりと輝いていて、深い緑の魅力を見せています。
みずみずしい紫陽花の花も今が見ごろ。
生命の雨を受けて、手毬のような青紫の花がお辞儀を繰り返しています。

紫陽花の花をみていると思い出す二つの情景があります。

ひとつは信州松本のカフェ「紫陽花」の先代長谷川さんの温和な顔。
若かりし日々、長谷川さんのお話を聞くのがとても好きでした。
三井商船のエリートだった彼は退社の後、大好きな街松本にて小さなケーキカフェを開いたのです。
ご家族で働いている姿を見るのが大好きでした。
長谷川さんの体験談に眼を輝かせて聞き入ったものです。
今、彼の姿はありません。
しかし、彼は松本平を吹き抜ける風となって存在しています。
雨に輝く紫陽花になって、確かに存在しています。
私は、大切な方々をこんなふうに感じています。
風や花に姿を変えた方々と無言の会話を交わします。
ときには、彼らの方から話しかけてくることさえあるのですから・・・



私と同年齢のフォーク歌手さだまさしの曲に「紫陽花の詩」があります。
30年以上も前の曲ですが、その歌詞の中に「ななつおたくさ・・・」というくだりがあります。
この「おたくさ」とはいったい何のことか、うかつにも知らずに好い気分で歌っていました。
つい先年、その意味がわかりました。
ご存知の方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、私は感動していたのです。
「おたくさ」とは紫陽花の学名の一部でした。
紫陽花の学名を名付けたのは、有名なシーボルトです。
彼は医師であり、かつ植物学者でもあったわけで著書「フロラ・ヤポニカ」のなかで紫陽花を紹介しています。
この「おたくさ」なる学名は、なんと彼の妻「お滝」の名前からとったものでした。
「お滝さん」を「おたくさん」とか「おたくさ」と呼んでいたそうなんですね。
当時の時代状況を超えて結ばれた二人です、洋妾などと陰口や中傷は多かったはず。
しかし、二人の間に流れていた愛情は確かなものだったこと、この「おたくさ」のエピソードで良くわかりました。
二人のエピソードはまだまだ続くのですが、
ともかくも紫陽花の花にはこんな素敵な物語があるということ、紫陽花を見るたびに思い出すのです。
長い時間を越えて生命を失わないもの、あるんですね。


        雨受けて 辞儀繰り返す 手毬花


  • 喫茶「器(うつわ)」

喜多方プラザの隣に古いお蔵を利用した喫茶「器うつわ」があります。
日中は観光客の皆さんでにぎわい、夕方からはジモッティの常連の憩いの場。
長い時間を経てきたお蔵の中で、穏やかなひとときを味わえるお店です。
経営者の吉田親さん、若いときからのフォーク好き。
マチュアフォークバンドを組んでいて、かつてはテレビ出演もした経験もある方です。
お店の一角にあったアコースティックギター
私も好きですので手にとって弾いてみました。
以来のフォーク談義です。
昨日はNSPの天野滋さんの逝去を悲しみました。
私よりひとつ年上の彼は、悠々自適の毎日を過ごしています。
美味しいコーヒーにこだわり、好きなものに囲まれ、そう足ることを知っている方とお見受けしています。
奇妙に落ち着けるお店とマスター。
私もときどきはお邪魔して、マスターと「五つの赤い風船」なんぞの歌をハモっています。
コーヒーは苦手な私ですが、雰囲気だけしっかりと味わってくるんです。