夏の終わり

tamon-wat2005-08-19

7月の後半から、特に8月の当初から喜多方はたくさんの行事が目白押しでした。
諏訪神社と出雲神社、二つの例大祭や喜多方発21世紀シアター、庄助踊りや太鼓の競演、
そしてお盆。16日夕の盛大な花火が、文字通りお盆と人々の興奮とを見送る「送り火」となって、喜多方の短い夏は終わりを告げたようです。
今年も短い期間にたくさんの出来事があり、たくさんの笑顔に会うことができました。
その笑顔のなかで印象的だったのはやはり子供たちの笑顔でした。
喜多方発21世紀シアターという素晴らしいイベントは、喜多方の子供たちを確実に育て上げています。
観客になっても、裏方としてイベントを支えても、どちらも子供たちにとっては素晴らしい経験です。彼らの眼は本当に輝いていました。
故郷意識をこんな風に醸成していくこと、無理もなく感心することしきり。
きっと他の自治体にとっても大変参考になるイベントだと思っています。
こんな素晴らしいイベントを続けている喜多方の街、そして市民の皆さんに心から敬意を表します。
さて、
お盆も過ぎて、日中の日差しはいまだ強烈ですが、陽が陰ると途端に様相は一変して、あれほどの大合唱だったヒグラシの声もなくただ虫の音だけが静かに聴こえてくるようになりました。
もはや夏布団の薄さは頼りなく、毛布を追加しての就寝となります。
窓の下では「スイッチョ、スイッチョ」と一年ぶりの声。
電気を消した闇のなかで、忍び寄ってくる感慨に寝返りをひとつ、ふたつ。
盛んなるもの、勢いのあるものが少しずつ衰えていく様には一抹の寂しさを感じてしまいます。
東北の短い夏が終わるこの頃になると、毎年のことながらまわりの風景が白茶けて見えるような、気がつけば遠くを見ているような、張り詰めていた何かを失ったような、そんな感慨にとらわれてしまうのです。
何十年も暮らしてきても、決して慣れるということはなく、むしろ年々その深みが増していくような、そんな気さえもしています。
「祭りのあとの寂しさ」なんでしょうね。
とにかくも、
短い夏は終わりました。



16日の夕刻、母と並んで送り火を焚きました。
さらなる一年にご加護いただきたいと祈りながら父と祖父母たちを送りました。
小さくなっていく火を見つめていますと、かつて父と一緒にいった京都の夏、大文字焼きを思い出していました。
その日はあいにくの雨。
豪雨のような夕立に襲われて傘などまるで役にたちませんでした。
私たちは雨を避けて叡山電鉄出町柳駅に逃げ込んだのですが、そこにも沢山の人が避難していて大混雑。
父と顔を見合わせて苦笑いをしたこと、覚えています。
小降りになった様子で、銀閣近くまで移動していくと、まさしく大文字は点火されていました。
雨をついて決行されたようですが、良く見るとどこか頼りなげな大の字です。
この強い雨で思うように燃え上がらず、細身の大文字になってしまったようなのです。
「うん、こんな珍しい大文字を見れたから良かったなあ。」
父はこんな風に負け惜しみをひとつ。
顔を見合わせて、こんどは呵呵大笑でした。
我が家のお盆を放り投げて、たった一度だけ行った京都のお盆。
細文字の大文字と父の笑顔とは、いまでも瞼に焼き付いています。
玄関先で消えようとしている小さな送り火は、あの京都大文字と父の笑顔とを鮮明に思い出させてくれる、存外大きな炎なのかもしれません。





写真は恋人坂からのお盆過ぎの盆地です。朝曇りの盆地は夏の行事続きでちょっと疲れているようでした。このところ飯豊の山塊が姿を現してはくれません。残雪の残る雄大な飯豊をいつも見たいと思ってはいるのですが・・・。私の片思いは当分続くようですね。