秋祭り考

tamon-wat2005-09-09


今日は9月9日。
秋の気配がそこかしこに感じられる日々となりました。
喜多方の近郊では幾つかの神社の門前に秋の例大祭を告げる旗が立ち、集落の方々が忙しそうに振舞っています。
私の住む小さな町でも、今月17,18日が町をあげての例大祭になっていて、秋祭りといえば9月の行事であるかのようになっています。


しかし、毎年この頃の秋祭りを見ていると、いつも疑問に感じてしまうのです。
この時期に例大祭という根拠の希薄さに疑問を感じてしまうわけなのです。


多分、この時期の例大祭は、今日が「重陽節句」であることと無関係ではないと思うのですが、「重陽節句」は別名を「菊の節句」ともいって晩秋の行事であり、旧暦で行うのこそしっくりとくる行事であると思っています。
集落の神を祭る大祭は「収穫の祝い」、収穫祭であって、それが「重陽節句」と渾然一体となったのが秋の大祭だと思っています。

それが、まだ夏の残滓を引きずっているような9月の初旬に行われてしまうのは、なんだか形だけが重視されてしまっていて、本質を忘れられているように感じてしまうのです。

もちろん、米本位主義の時代ではありませんし、私たちの生活の中でお米の占める位置もずっと低いものにはなっています。
しかし、2000年の伝統が季節感のずれたままに行われてしまうことが釈然としないのです。


かんがみれば、旧暦のままに残っているのは「お盆」くらいになってしまいました。
見事と言っていいほどの新暦交代です。
そんな時代に馬鹿なことを言っているようですが、神社の参道に翻っている旗を見上げながら、稲作農耕民族の歴史と伝統を忘れないようにしたいとひとり思っている私なのです。



  • 野分去りて

九州をはじめ、全国に多大な被害をもたらして台風14号は遠くオホーツクの海に消えていきました。
今年は台風が少ないなあなんてのんびり構えていましたらこの始末。自然を相手に油断とか慣れとかは通用しないこと、あらためて思い知らされました。
喜多方に限れば、幸いにも大きな被害は受けませんでしたが、全国のニュースを見るたびに
とてつもなく降る雨に恐ろしさを感じた次第です。
名古屋や四日市に住んでいた頃、台風がくると浸水被害があちこちでありました。
「いやあ、家は床下で済んだから良かった・・・」なんて言っているのを聞いてビックリしたことを覚えています。
台風被害とは縁が遠い東北生まれの私にはとんでもない会話に思えたのです。
海岸沿いには大小の観音様があちこちに立っていました。伊勢湾台風の供養でした。
造船所の隣にあった事務所への通勤路、観音様に会釈をして通ったものです。
最近の台風雨は地球温暖化の影響で雨量がとんでもない量になると聞きました。
なるほどニュースでも1300ミリなどと信じられぬ雨量を伝えています。
「おごる平家」ではないのですが、今私たちができることは何なのか、小さな生活を見直すことも大事なことですね。クールビズ、いいじゃないですか。我が家のエアコンも一年でせいぜい2〜3日しか活躍しません。暑ければ薄着で汗をながし、寒ければ厚着して寒をやりすごす。都会では無理なことでも、喜多方では可能です。
また高くなったガソリンや灯油を横目に、この冬も小さな工夫を重ねてみようと思っています。


  • 九月の声を聞いた途端、田んぼの上を舞っていたつばくろ達の姿が見えなくなってしまいました。

色づき始めた田んぼの上を高く、低く飛ぶ彼らの姿はいつもの風景になっていたのですがいつの間にかすっかりと姿を消してしまいました。
「じゃあ行くよ」とか「またね」とか、なんらかの合図でもして姿を消してくれるのならまだしも、気がつけばいないというのはどこか寂しくなってしまいます。
まして我が家の軒先で生まれたつばくろ達ですから、せめて一方的にでも別れの挨拶などかけてやりたかったなあと、高い空を見上げている私がいます。
またひとつ季節が去った・・・。
黄色みを増していく田んぼの上にはたくさんの赤とんぼが飛び交っていました。
台風一過の高い青空の下、どうやら豊穣の季節の足音が聴こえてきたようです。
(写真は恋人坂からの喜多方です。青空の下、黄金の海になりつつあります。)