秋気到来

tamon-wat2005-09-16

朝、恋人坂からは盆地のあちこちに霧雨の柱が幾本か立っている珍しい光景が見えました。スタジオ入りする頃には頭上に移動してきたらしく、私の眼鏡越しの世界を静かに濡らしていました。
放送中も窓外は曇天のまま、しかし手元に送られてくる天気予報は午後からの快晴を予告していたのです。
午前の番組を終えて、昼食のため外に出てみると、なんと空の半分は青空に変わっていました。
なじみのラーメン店「さゆり食堂」から汗を拭き拭き出てくる頃には、もう空は隅々まで真っ青になっていたのです。
同時に、半袖シャツから出ている肘のあたりがスースーとするのを感じました。
陽光はまぶしく輝いているのに、大気は涼しいものになっていたのです。
車のエアコンを切って、窓を開放して走りました。
爽快です。
乾燥した涼しい風がほっぺたをなぜていきます。
「秋気到来」
そんな言葉を頭に浮かべながら、蔵に挟まれた路地を通り抜けました。
午後の収録を終えて、待ちかねたように恋人坂に上りました。
「あっ。」
黄金の海の向こうに、久しぶりの飯豊の山塊が姿を現していました。
青空にぽっかりと浮かんで、盆地を見守っています。
私は草に腰を下ろして、大好きな光景に見入っていました。
丘の上にはときおり風が吹いてきて黄金の稲穂に波をたてていました。
私の頬や二の腕もすっかり冷たくなってしまいました。
「くっしゅん!」
どうやら限界です。
夏の衣装ではこの風を受け止められません。
私はもう一度飯豊の山塊に眼をやって、秋気に満ちた光景を焼付けました。
雄国の山道を走っていると、口を開けた栗の実が落ちていました。
「栗ご飯が食べたいなあ・・・」
季節が眼に見える幸せとは実にありがたいものです。




  • 蔵の街「アートぶらり〜」

先日、楽篆工房の高橋政巳先生からご丁重なる案内状を頂戴いたしました。
作品展のお知らせでした。
(高橋先生は篆刻の大家なのですが、とても気さくな方で、いつも笑みを絶やさずどんなお客様にも懇切丁寧にお話をしてくれる得がたい方なのです。
喜多方へお出でになったら、「楽篆工房」は見逃せないギャラリーですので皆さんの記憶にしっかりと入れておいてください。)

今年も「アートぶらり〜」の季節がやってきました。
この催しは市内20箇所にある美術館やギャラリー、ホールにて時を同じくしていっせいに
開かれる展覧会のことなのです。
東北の片田舎でしかないこの喜多方でこんな方式の展覧会がおこなわれるなんて、私は声を大にして叫びたいと思います。
こんな試みをずっと続けている喜多方の街を誇りに思っているのです。
この秋、喜多方にお出での方はお忘れなく美術めぐりをなさっていただきたいものです。

蔵の街「アートぶらり〜」
  期間 : 9〜10月
  場所 : 市内20箇所の美術館、ギャラリー、ホールなど。
       (FM喜多方でも物江章写真展「飯豊連峰花紀行」が開催されます。)
  主催 : 「蔵のまちアートぶらり〜」実行委員会 0241-23-0404


  • 名月

暗くなるまで書き物をしていました。
夕食を知らせる声に顔を上げると、窓越しに月が煌々と光っていました。
まさに「玲瓏の月」という表現が適した美しい月で、私は階下の呼ぶ声も忘れて、しばし月に見入っていました。
「初月」
中秋の名月までに段々と大きくなっていくこの日々の月を言います。
正しくは旧暦6日くらいまでの月をこう呼ぶそうですが、先人の豊かなる感性に感心をしながら、美しい月に見入っていました。
そういえば高校生の頃、古文の授業で「月影」の意味をどうしても理解できずに、不満げに先生の顔を見つめていたことを思い出していました。
既に鬼籍に入られたその先生ですが、理解できない不精進な教え子をどうやらもてあましていたのかなと、ただただ苦笑い。
今、「月影」の意味をあらためて教えんとばかりに満月手前の美しい月は輝いていました。
ふと、
「おほてらのまろきはしらのつきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ」
会津八一のうたを思い出しました。
いつかはこんな素晴らしいうたを詠んでみたいと夢見ています。
中秋の名月は18日。
どんなうたを詠むことができるのでしょうか。