収穫の日々

tamon-wat2005-09-30

夜にはだいぶ冷え込んだと見えて、早朝の会津盆地は深い霧のなかでまどろんでいました。
恋人坂の高みから、少しずつ薄れていく霧を眺めていると、やがて黄金の海が見えてきます。
早朝にも関わらず、もはや何台ものコンバインがうごめいていて、そこかしこで黄金色の市松模様を描いています。
収穫のときです。
盆地は、いままさに収穫の日々を迎えていました。
平らかな盆地のあちこちで収穫の汗が流されています。
それは、昔とは様変わりしていて、ほとんどが機械化によるものになってはいますが、変わらぬものは収穫の喜び、幾千年も繰り返されてきた営みが今年も眼の前に広がっていました。
お米の価値こそ百年前と今とでは雲泥の差でありますが、それでも大事な主食です。無事にこの日を迎えた安堵感は、たとえお米を作らぬ人でも笑みがこぼれますね。
今年も美味しいお米が食べれそうです。


山々からも嬉しい便りです。
「今年も従兄弟が天然舞茸を採ってきてくれました。」と友人のSさん。
「本当のところ、天然物も養殖物も、厳密には味の違いはわからないのですが、私は舞茸を介して従兄弟とコミニュケーションをとっているのですよ。」
なるほど、近しい身内でも、行き来が無くなってしまえばどんどんと疎遠になってしまいます。
何かきっかけを作って顔を合わせることが大事ですね。
秋の味覚「舞茸」には美味しさのみならず、そんな効能もあったようです。

かつての農村集落には、この舞茸に似た仕組みが存在していました。
すなわち、この家では「茄子」を作らない、あの家では「木瓜」を作らない、そんな不文律を決めていて、互いに融通し合う機会を作っていたのです。
今とは違って集落の結束の価値はとても高いものでした。
日ごろのコミニュケーションの大事さを熟知していたのですね。
欧米流資本主義にすべて倣うのではなく、東洋の、わが国の伝統のなかにも再び取り入れたい仕組みが存在します。
まずは、身の回りのささやかな事柄から見直してみることもいいのかなと思っています。


  • もうひとつ「きのこ」の話

友人のAさんがスタジオを訪ねてきてくれました。
忙しい日々が一段落したようで、少し開放的な気分を取り戻せたようです。
久しぶりにたくさんの話をしました。
あたりが宵の気配に満ちるころまで楽しい時間を過ごしました。
車で立ち去る友人を見送っていたら、ついさっきの話題のひとつ、きのこの話を思い出していました。

もう15年近く前のこと。
当時会社勤めをしていた私は仕事の関係で、どうしても政治の力にすがる必要が生じ、秋のある日永田町議員会館にとある国会議員を訪ねたのでした。
政治家に媚を売るようでしたが、これも仕事と割り切っていましたので格別の思いもわきませんでした。
当日の手土産に選んだのは「ししたけ」。
田舎でもなかなか手に入らないのだから喜んでもらえるだろうと、良かれと思った手土産でした。
議員会館の狭い事務室で腰を下ろして待っていました。
ほどなくして奥の部屋のドアが開いて、議員と先客とが姿を現しました。
先客を見送った件の議員は秘書に向かって「これ、○○さんのお土産だって・・・」
私の眼に入ったものは何とマツタケの箱だったのです。
「う〜ん、3KGぐらいあるかな?」

用件を済ませ、議員会館から出てきた私のかばんの中には、まだししたけの手土産がそっくり残っていました。マツタケ3KGの迫力に負けて、とうとう出しそびれてしまったのです。
結局、長距離を往復した旅行好きの「ししたけ」は、次の晩の我が家の食卓にのぼる羽目になりました。
本来の役には立たなかったししたけですが、その味はやっぱり変わらぬ美味しさであったこと覚えています。
「ししたけ」と聞くと、私はあの議員会館を思い出してしまって、一人苦笑いをしてしまうのです。




写真は恋人坂からの盆地です。霧も晴れて刈り入れも一段と進みました。すぐ前の田んぼでも老農夫がひとり、刈り入れの準備をしていました。遠く飯豊の山塊には早くも白いものが見えていました。万年雪なのか、それとも昨夜の冠雪なのか、とにかくも秋の冷気を感じる今日この頃です。