番外編 「晩秋?初冬?京都・奈良に行ってきました。」

tamon-wat2005-12-10

講談社主催のエッセイ募集に入選したおかげで、晩秋の京都・大和路にひとときを過ごしてきました。
いつもはあわただしく行き来してしまう古都なのですが、今回はちょっとだけわがままを聞いてもらって5日間ほど古都の人になってきたのです。

始まりはいつもここと決めています。
斑鳩の里です。
私にとっての古都原体験は斑鳩法隆寺和辻哲郎、吉村貞司、土門拳会津八一・・・たくさんの先人達の著書に触発され、東海道本線各駅停車列車や夜行バスで通ったものです。
今回も法隆寺から中宮寺法輪寺、そして法起寺、さらに慈光院と歩きました。
どんなときも歩くこと、これは徹底しています。
始まりが歩いての古都探索でした。
白髪頭になっても自然と歩いていました。
写真は西里の路地です。エッセイに書いた場所でした。
三十数年の月日は、すっかりときれいな集落に変えていましたが、私にはあの日の情景がありありと思い出せます。
法隆寺西門から藤木古墳までの、わずか300Mの間にある水路と路地の集落「西里」。
いくつになっても青年の私に逢うことができる、そんな大事なこころの路地なのです。


復元なった平城京朱雀門の東南に大きなショッピングセンターが出来ていました。
イトーヨーカドー奈良店でした。
実はこの場所は以前そごうデパート奈良店でした。
奮闘むなしくあえなく倒産。
その跡地に今度はイトーヨーカドーが進出してきたわけなのです。
しかし、
地元では早くもヒソヒソ話が始まっていました。
なぜなら、
この場所はいわくつきの場所だったからです。
そごうの失敗だろ?
いいえ、そんなものではありません。
実は、
この場所は、遠く天平元年(729)に陰謀により横死した左大臣長屋王」の屋敷跡なのです。
長屋王
天武天皇の孫、高市皇子の子、聖武天皇左大臣(宰相)として長屋王政権を作り上げていたはずなのに冤罪により横死。
首謀者とされる藤原4兄弟も9年後、疫病にて次々に死するを長屋王の怨念だと伝えられています。
先のそごうデパートも、その長屋王の怨念の犠牲になったのかも・・・
そして今、飛ぶ鳥を落とす勢いのイトーヨーカドーが進出。
さてさて、こんどはいかなる結果が待っているのか?
奈良の住民は興味深々として行く末を見守っているとのこと。
奈良好きの私も定期的に問い合わせをしてみようかしらんと思う日々であります。