番外編 「晩秋?初冬?京都・奈良に行ってきました。」

tamon-wat2005-12-10

講談社主催のエッセイ募集に入選したおかげで、晩秋の京都・大和路にひとときを過ごしてきました。
いつもはあわただしく行き来してしまう古都なのですが、今回はちょっとだけわがままを聞いてもらって5日間ほど古都の人になってきたのです。

始まりはいつもここと決めています。
斑鳩の里です。
私にとっての古都原体験は斑鳩法隆寺和辻哲郎、吉村貞司、土門拳会津八一・・・たくさんの先人達の著書に触発され、東海道本線各駅停車列車や夜行バスで通ったものです。
今回も法隆寺から中宮寺法輪寺、そして法起寺、さらに慈光院と歩きました。
どんなときも歩くこと、これは徹底しています。
始まりが歩いての古都探索でした。
白髪頭になっても自然と歩いていました。
写真は西里の路地です。エッセイに書いた場所でした。
三十数年の月日は、すっかりときれいな集落に変えていましたが、私にはあの日の情景がありありと思い出せます。
法隆寺西門から藤木古墳までの、わずか300Mの間にある水路と路地の集落「西里」。
いくつになっても青年の私に逢うことができる、そんな大事なこころの路地なのです。


復元なった平城京朱雀門の東南に大きなショッピングセンターが出来ていました。
イトーヨーカドー奈良店でした。
実はこの場所は以前そごうデパート奈良店でした。
奮闘むなしくあえなく倒産。
その跡地に今度はイトーヨーカドーが進出してきたわけなのです。
しかし、
地元では早くもヒソヒソ話が始まっていました。
なぜなら、
この場所はいわくつきの場所だったからです。
そごうの失敗だろ?
いいえ、そんなものではありません。
実は、
この場所は、遠く天平元年(729)に陰謀により横死した左大臣長屋王」の屋敷跡なのです。
長屋王
天武天皇の孫、高市皇子の子、聖武天皇左大臣(宰相)として長屋王政権を作り上げていたはずなのに冤罪により横死。
首謀者とされる藤原4兄弟も9年後、疫病にて次々に死するを長屋王の怨念だと伝えられています。
先のそごうデパートも、その長屋王の怨念の犠牲になったのかも・・・
そして今、飛ぶ鳥を落とす勢いのイトーヨーカドーが進出。
さてさて、こんどはいかなる結果が待っているのか?
奈良の住民は興味深々として行く末を見守っているとのこと。
奈良好きの私も定期的に問い合わせをしてみようかしらんと思う日々であります。

 さぶっ!

tamon-wat2005-11-14

午前中は穏やかな天気でした。
外仕事中の私、昼食時になって寒さを感じました。
空は今にも泣き出しそう。どんどん寒くなっていきました。
あわててジャンパーをはおっての昼食です。
今年初めてのランチジャーのありがたさを味わいました。
暖かいご飯や味噌汁のおかげでおなかの中から温かくなりましたが、それもほんのつかの間。
ジャンパーの襟を立てても、軍手をしても暖かくなりません。
しかたがないので早々に仕事を再開しました。
この寒さでは身体を動かしていることが一番の暖房です。
ふと空を見上げると、鉛色の雲の下、渡り鳥の群れが飛んでいます。
40〜50羽の群れは何とかV字の編隊を組もうとしています。
飛び立ってすぐなのでしょうか、編隊は出来かかったかと思えばすぐ離れ、離れたかと思えばまた寄り集って、とうとうV字というよりは「へ」の字のような編隊を組むことに成功し、北の方角へ消えていきました。
いったいどこの湖沼や河川へ向かうのでしょう?
彼らの消えた空を未練気に見やっていた私、再び気が付いた午後の寒さに身震いをひとつして重機のエンジンをスタートさせました。
ポツポツと時雨が降ってきました。
そろそろウールのセーターを着込まねばなりません。



「 ポケットに 両手入れして 時雨避く 」



喜多方市内南町蔵通りに、えもいわれぬ珈琲の香りをふんぷんと撒き散らしている一軒の珈琲店が存在します。
くぬぎ山珈琲店
本当は漢字で書くくぬぎなのですが、私の感性はなぜかひらがなのイメージを要求しています。
「座敷カフェ」と名打った店内では何種類もの珈琲を味わうことが出来、本当にうまい珈琲が飲めると評判のお店なのです。
それもそのはず、店主のくぬぎ山さんは趣味が高じて本格的に焙煎から学び、なんだか通常以上の焙煎方法を工夫した変な人なのですよ。
私は珈琲嫌いなのでその辺は直接ご本人に確かめていただきたいのですが、とにかく美味しい珈琲であること、間違いはないのですから私のお勧め店ということにしたわけなのです。

じつは店主のくぬぎ山さんは、私と同じく喜多方シティFMにて番組を担当しています。
彼の番組は何と「カントリー」
知識も豊富で、登場以来人気もうなぎのぼりなのです。

かくして、くぬぎ山珈琲店では、かぐわしい珈琲の香りと、カントリー音楽とがあふれるように充満しています。
喜多方の新名所として、あなたの記憶にとどめておいてください。
そうそう、
このブログをお読みいただいてる皆さんだけにもうひとつ内緒のお話をいたしましょう。
このくぬぎ山珈琲店、甘味も充実しています。
なかでもコーヒーソフトクリームは逸品です。
真冬でもOKですので喜多方に来た際にはお忘れなく。

場所?
そんなもん、喜多方南町通りに行ってみればすぐわかります。
なんてたって50M先から珈琲の香りが「おいでおいで」をしていますから、はい。



雲が低く垂れ込めていて、良くは見えませんでした。雲の切れ間にチョッとだけ顔をのぞかせてくれました。猪苗代スキー場のあたりは、もう真っ白になっています。

磐梯山にも冠雪

tamon-wat2005-11-13

去る8日の夜から9日の朝にかけて、磐梯山や吾妻スカイライン、土湯峠などに初めての降雪がありました。
例年より半月ほど遅い初雪でしたが、実際に白くなった磐梯山を見ますと「ああ、冬が来たなあ」と感慨ひとしおになります。
里は紅葉の真っ盛りですが、季節風が吹き始める度に裸木になっていく様を見ると、やはり胸の中にも寒々と風が吹いていくような、そんな思いにかられます。
もっともそんな感傷とは別に、風に散った落ち葉を畑や庭に鋤きこむべくせっせと集める人もいて、毎年ながら晩秋から初冬にかけての風物詩だわいとばかりに眺めてもいます。
新宮熊野神社の長床でも、あの大銀杏は色づき始めたようですが、まだまだ見ごろは先のようです。黄色の絨毯が敷き詰められた1000年のたたずまいは、なんといっても素晴らしいものです。
長床に腰を下ろして、大銀杏の落葉を静かに見守る。
1000年の時間に包まれるあの安堵感はいったいなんなのでしょうか。
晩秋の仕上げには長床大銀杏の落葉こそがふさわしいと、私はそう思っているのです。



11日には土湯峠を越えました。
道の両側には雪が積もっていて、ダケカンバの白灰色の木肌を寒そうに見せています。
標高1200mのあたりは一足先に冬の領域です。
車の外に出ると、容赦のない季節の風が私を突き刺しました。
一切経山や吾妻小富士、安達太良の峰々も白いお化粧をしています。
鷲倉、野地、新野地、幕川などの個性あふれる温泉も終わりの賑わいを見せていました。
最後の紅葉や、「秋と冬」との二つの季節を撮影しようと、カメラを抱えた人も目立ちましたね。
よく見ると、彼らの大半は中高年の方々です。
豊富にある時間を、ようやく趣味に費やすことができる喜びが、私にも伝わってきます。
私の明日はどんなになるのだろう?
願わくは彼らと同様の喜びにまみえることができますように・・・
立ち寄り湯の誘惑を振り払って、私はまだ未練のある晩秋へ向かって山道を下り始めました。


「 落ちる葉に 露光らせて 冬に入る 」


  • 写真は恋人坂からの白い飯豊山です。

空は青く澄み、白い山塊はこの上なくきれいでした。
ふと頭上にあった柿の赤さを取り入れたくなって、柿の赤さと白い飯豊を写してみたのです。絵心とは無縁の私ですが、美しいものへ気がつく私でいたいものです。

ひつじ田

tamon-wat2005-11-06

稲刈りを終えた田んぼは、刈り跡から青々と二番萌が伸びています。
霜が降りてしまうまでのはかない生命なのですが、晩秋の冷たい空に向かって生命を伸ばしていこうとするその姿に、毎年眼がひきつけられてしまいます。
何の打算もなくただただ生命をまっとうしようとする純粋さに、私はどこか後ろ暗い気持ちになってしまうのですが、この状態のたんぼを「ひつじ田」と呼びます。


会津の刈りいれはほとんどがコンバインを使用しますので、ひつじ田にはあの長い稲束架(はせ)は見当たりません。
私は近年までお米を作っていましたので、この「はせかけ」による天日乾燥にこだわっていました。機械による強制乾燥よりずっと美味しいのだと、そう信じて実行していたのですが、技術の進歩なのか、はてさて単なる私の思い込みだったのか、コンバイン収穫の新米と天日乾燥の新米との違いが良くわからなくなっています。
(単に私が味オンチということかな?)


先日、リスナーのAさんから新米の差し入れがありました。
上白精米、つまりお米に磨きをかける精米方法で、そうですねお酒用の酒米を精米するように摺った贅沢な新米です。
いやあ実に美味しかったのです。
我が家の周辺でもようやく天日乾燥がすすんで、新米が流通しだしました。
「新米」と呼べるのは今年のうちです。美味しいうちに十分堪能しましょうか。
つやつやと輝く新米はやっぱり最高です。感謝!


  • 雪囲いと雪吊り

天気の良い日には喜多方のあちらこちらで庭木に雪囲いをしたり、雪吊りをしたりする姿が良く見受けられるようになりました。
ご自分で工夫を凝らす方もいれば、本職の庭師さんが大掛かりにかかっていたり、冬のにおいがふんぷんとしてきた今日この頃です。
会津喜多方よさこい庄助踊り」も盛況のうちに終わった翌日、会津の空は真っ青に晴れ上がっていました。
日中のぽかぽか陽気に誘われて、なんと窓を開けて車を走らせました。
そして件の雪囲いです。
ある場所では何とロック音楽をかけて庭木の手入れをしていました。
いったいどんな方が作業なさっているのかな?と大変気にはなったのですが、樹木にさえぎられてはっきりとはお見受けできませんでした。
多分、若い庭師さんに違いない。と独り合点をしてその場をはなれたのですが、庭の手入れとロックという取り合わせに驚いてしまうのは、私っておじさん?
ともあれ、朝晩の冷え込みもきつくなってきました。
樹木にも配慮をしてあげようと思う今日この頃です。


「 雪吊りの 鋏の音や 暮れの秋 」


  • あるラーメン屋さんの試み

私が好きなラーメン屋さんのひとつである「さくら亭」のご主人は、とても植物を愛する方で、食事のあとにお店の裏側の小さなお庭を見せていただくことがあります。
珍しい植物もあったりして、へ〜っと感心してしまうこともたびたびです。
そのご主人、今は菊の花に力を注いでいます。
愛情一杯のせいなのか、はたまた肥料がいいせいなのか、どの花も見上げるように大きく育っていて、迫力のあるつぼみをつけています。
ご主人の試みは、この豊かな菊花をふんだんに使って、とある会津の風景を表現してみようとのこと。
お店の前の駐車場の側面を菊花で一杯に、そして会津の風景を描いてみようとしているのですから、その意気は高いものであります。
私はこういう方が大好きですので、おおいにたきつけておりました。
まもなく並べ始めるころでしょうから、次に食事にいくのが楽しみでもあるのです。
みなさんも「さくら亭」にいったら、ぜひどこの風景なのか推量してください。
ご主人が開催した小さな菊花展。
私は楽しみに、そして応援をしています。


  • 写真は恋人坂の柿の木です。今朝は霧がかかっていて盆地は良く見えません。盆地越の飯豊の山々も白い帽子をかぶりました。残念、雲に隠れています。ようし、次にはきれいな写真を撮らせてもらいましょう。

秋深し

tamon-wat2005-10-30

今日は旧暦9月28日、「長月」と呼ばれる月も終わろうとしています。
明後日から始まるのが「神無月」。
八百万の神々は出雲までの旅の支度におおわらわといったところでしょうか。


朝のまどろみがいとおしくてたまりません。
目覚ましを止めて、「あと10分・・・」
朝の冷気が増しつつある今日この頃、今年も布団の暖かさへの未練を感じるようになりました。
紅葉前線もだいぶ里へ降りてきました。
深まる秋をそこかしこで感じています。


私の好きな恋人坂。
いつもたたずむ場所は決まっていて、そこには一本の柿の木が立っています。
数日前に初冠雪の日を迎えた飯豊の山々は、青空に向かって孤高の頂きを屹立していました。
ふと頭上を見上げると、柿の実が赤く色付いていて、中にははや熟しているものまであるようです。
赤い柿の実と、盆地の対岸に遠く、そして白く光る飯豊の山塊。
青い空を背景にとても美しい風景でした。


毎年繰り返される光景ではありますが、見る度に新鮮なる感動を覚えること。
一年の短さを知らしめること。
過ぎ行くことをなぞり、行く末に思いをはせる。
私をして生きる時間の句読点を打たせるような、そんな思いのする風景なのです。


私は生きていく重みと、風景の美しさとに、おおきく深呼吸をしました。
恋人坂の風景は、私を励ましたり、慰めたり、ときには一緒に喜んでくれたり、
私にはかけがえのない風景なのです。


晩秋の恋人坂には、はや冬のにおいが漂っていました。


 「冠雪の 山を背にして 柿熟れる」



喜多方シティFMでの私の番組「アコースティック・タイムトリップ」。
懐かしいフォークソングやニューミュージックとリスナーや私の思い出、季節のエッセイでつづる一時間です。
リスナーの年代は40代から上の方、毎回熱心に聴いてくれる人もいてわたしも張り切って担当しています。悩みは音源の不足。
古いレコードとかカセットテープとかの世代ですので、「ああ、あの歌あったよな・・・」
なんて思い出しても万事休す。
なかなか入手できずに悔しい思いをしています。
復刻版のCDなどを集めてはいるのですが思うようには進んでいません。
でも、自分自身のコレクションでもあると思って、あきらめずに頑張ります。
金延幸子
ご存知の方もいらっしゃることと思います。
フォーク創成期を彩った方の一人ですね。
ユーミンの先駆けのような人でした。
「み空」、「時にまかせて」いい歌がありましたね。
私も少し持ってはいるのですが、まだまだ探しています。
どなたか「LP持ってるよ・・・」なんて方がいらっしゃいましたら、ぜひコピーさせていただきたいと思っています。
彼女は現在アメリカ居住。ときどきは帰ってきてコンサートをしているようだとも聴いていますが、情報はそこまで。
霧の向こう側で幸せな暮らしをしていると、そう思っているのです。

秋の深まりとともに、なんだか古い曲が無性に聴きたくなっています。
今、私の車のなかでは「はっぴいえんど」、「遠藤賢司」とか「五つの赤い風船」なんかが演奏してくれてます。
懐かしい曲を聴くと、一瞬にして「あの日」に行ってしまいますね。
そんなタイムトリップをあなたもいかがですか?



写真は裏磐梯、小野川湖に注ぐ川の紅葉です。紅葉も日ごとに里へ降りてきています。

遅い紅葉

tamon-wat2005-10-15

このところ低く垂れ込めた雲が居座っていて秋らしい高い空を仰ぐことができませんでした。
磐梯山も例外ではなく、山裾を通る度に見上げてはいるのですが、美しい姿には御目にかかれませんでした。
昨日の磐梯山は青空を背景にすっきりとした全身を見せてくれていました。厚い雲の中で随分と念入りな化粧を施していたのでしょう、肩から上は華やかに赤く染まっています。
私は車を止め、久しぶりの彼女をしばらくの間見続けました。
標高にして約1000m付近まででしょうか。朝の光を受けて燃えるように輝いている様は、青々としていた姿からいきなりの変身です。少し驚きでした。


10月に入ってもセーターを着ない日々が続いています。
昨日は一日中、野外での労働をしたのですが、なんと暑くてTシャツ一枚になって仕事をしていました。
夕方になって畑仕事から帰る農婦と立ち話。
今年はキノコが不作でまだ口にしていないとのこと。
確かに我が家でも秋の味覚は栗ご飯、そしてサンマ。
まだ美味しいキノコには出会っていません。
紅葉にしろ、キノコにしろ、例年より10日ほどは遅れている様子で、これも地球温暖化の表れかと、こんどは夕陽に染まった赤い磐梯山を見上げてため息をひとつ。
蟷螂の斧に等しい私の努力ですが、私にできうることを続けようと、小さな決意もひとつ。


ともあれ、会津デストネーションキャンペーンの効果もあって、会津には例年を上回るお客さんが訪れてくれました。喜多方では17%増とのこと。
秋本番になって、会津の美しい紅葉をも見ていただきたいと思うわけなのですが、青空のもと美しい紅葉風景の出現にいささか気をもんでいたわけなのです。
今日あたりからは、また天気が下り坂。
この雲が過ぎてしまえば、私たち自慢の紅葉風景が目前に広がります。


紅葉は幾千年も、幾万年も繰り返されてきた「生命の輪廻」であります。
大いなる自然の懐で生命の輪廻を感じてみてはいかがでしょうか。
きっと、
たくさんのささやきがあなたを包み込んでしまうかもしれません。


やっと、
紅葉の日々がやってきました。



  • 秋の青空を眺めて (河東町郊外にて)

労働の後、心地良い風を受けて畦道でのランチを楽しみました。
身体の芯からのほてりを冷ますべく草に寝転びます。
抜けるような青空にうろこ雲が浮かんでいました。
仲間との談笑も止んで、気がつけば皆ウトウトと彷徨っているようでした。
私はひとり、啄木なんぞの詩を思い出しています。
「おおっ、50歳のこころでも空に吸われるようだわい。」
ひとりごちて笑みがもれます。
そのとき、ふと気づきました。
会津の青空には飛行機雲は見当たりません。
ちょっと離れた中通り地方では空港もあり、上空には北へ向かう航空路もあります。
それゆえ中通りでは青空には飛行機雲が当たり前なのです。
会津の空に飛行機雲を見ることはめったにありません。
ということは・・・
そう、会津の空は、ずっと昔のままの青空です。
何百年も、何千年も続いてきた青空です。
「この空は貴重かも・・・」
私はひとり嬉しくなって、大きく伸びをすると、こんどは本当にまどろみのなかに入っていきました。


  • ジモッティ(喜多方市民)のいくラーメン店

久方ぶりの書き込みです。書かなかったからラーメンを食べなかったのではなく、相変わらず、しこしこと一人ラーメンを食べ続けています。
最近は「さくら亭」とか「さゆり食堂」とか「ポン太」とかなじみのお店にいくことがおおいのです。慣れきった味なのですが飽きませんね。不思議です。
そんな近況なのですが、先日初めてのお店に行って参りました。
そのお店の名は「まる食堂」
なんと、酒販店の一角を利用してのラーメン店なのです。
酒販店としては喜多方地方一番に免許を受けたという90年を超える歴史を持ったお店なのです。
趣味が高じてというわけではないのでしょうが、出てきたラーメンは黄金色に澄んだスープと中太の麺が絶妙のハーモニィを醸しだしています。
さすがにレベルの高い喜多方ならではの味に仕上がっていました。
ご主人のAさん、温厚な笑顔で話しかけてくれました。
お客さんの迷惑にならないようなタイミングでの話しかけです。
商売や、人生そのものの経験の深さを感じるもてなしですね。
喜多方は蔵とラーメンの街ではありますが、忘れてはならないのが酒造文化です。
現在も9軒の造り酒屋が技を競い合っている日本酒文化の街。
まる食堂のご主人に喜多方のお酒のお話なんぞをおねだりして、ちょっと違った喜多方をおしりになってはいかがでしょうか。
場所は、喜多方駅から駅前通りを北に直進。最初の交差点を右に、30メートル歩けば右側にあります。お勧めの一店です。



  • 多聞のひとりよがり俳句

秋という季節に思うところありまして、柄にもなく俳句らしきものに挑戦しております。
首をかしげるような句ばかりですが、これも等身大の私です。お付き合いください。

 田の上を 吹く秋風も 色づけり

 秋風や 稲穂の香り 運びけり

 この年も 幾十日ぞ 初紅葉

 帰り道 釣瓶落としの 頼りなさ

 秋の夜や 太鼓の音が 流れくる

 来し方を 思いつつ見る 月見かな


刈り入れの済んだ田んぼでは、稲わらを焼く煙が立ち昇っています。
通りすがりに稲藁を焼くにおいがすると、どこか懐かしい思いがして思わず立ち止まってしまいます。
懐かしい人に出会ったような、そんな感覚に似ているのです。
香りの記憶とは不思議なものですね。
そういえば今宵の月こそ「後見の月」。
旧暦9月13日の十三夜さんですね。
会津は雨模様です。このままでは「片見の月」になってしまいそうですね。
何とか顔を出してくれるといいのですが・・・


  • 珍しく忙しくなって、ついブログの更新をかまけてしまいました。

リスナーの方からお便りを頂いて、話題の最後に「ブログを更新してください・・・」と書いてありました。
お若いリスナーの方でしたが、番組を聴いていただいているだけでなく、このブログをもお読み頂いているとは・・・
とても嬉しく思っております。
けっして名文でもなく、表現にも乏しい文章ですが、自然体のままで背伸びすることなく続けていきたいと思っています。
「スカイウォーカー」さん、ありがとうございました。感謝!


  • 写真は13日の磐梯山です。青い空にちょっとだけ白雲がかかっていて紅葉を引き立てていました。同じ日、飯豊の山塊もくっきりと山容を見せてくれました。万年雪がきれいでした。まもなく錦秋の日々。めぐる季節の懐にすっぽりと包んでもらいましょう。

収穫の日々

tamon-wat2005-09-30

夜にはだいぶ冷え込んだと見えて、早朝の会津盆地は深い霧のなかでまどろんでいました。
恋人坂の高みから、少しずつ薄れていく霧を眺めていると、やがて黄金の海が見えてきます。
早朝にも関わらず、もはや何台ものコンバインがうごめいていて、そこかしこで黄金色の市松模様を描いています。
収穫のときです。
盆地は、いままさに収穫の日々を迎えていました。
平らかな盆地のあちこちで収穫の汗が流されています。
それは、昔とは様変わりしていて、ほとんどが機械化によるものになってはいますが、変わらぬものは収穫の喜び、幾千年も繰り返されてきた営みが今年も眼の前に広がっていました。
お米の価値こそ百年前と今とでは雲泥の差でありますが、それでも大事な主食です。無事にこの日を迎えた安堵感は、たとえお米を作らぬ人でも笑みがこぼれますね。
今年も美味しいお米が食べれそうです。


山々からも嬉しい便りです。
「今年も従兄弟が天然舞茸を採ってきてくれました。」と友人のSさん。
「本当のところ、天然物も養殖物も、厳密には味の違いはわからないのですが、私は舞茸を介して従兄弟とコミニュケーションをとっているのですよ。」
なるほど、近しい身内でも、行き来が無くなってしまえばどんどんと疎遠になってしまいます。
何かきっかけを作って顔を合わせることが大事ですね。
秋の味覚「舞茸」には美味しさのみならず、そんな効能もあったようです。

かつての農村集落には、この舞茸に似た仕組みが存在していました。
すなわち、この家では「茄子」を作らない、あの家では「木瓜」を作らない、そんな不文律を決めていて、互いに融通し合う機会を作っていたのです。
今とは違って集落の結束の価値はとても高いものでした。
日ごろのコミニュケーションの大事さを熟知していたのですね。
欧米流資本主義にすべて倣うのではなく、東洋の、わが国の伝統のなかにも再び取り入れたい仕組みが存在します。
まずは、身の回りのささやかな事柄から見直してみることもいいのかなと思っています。


  • もうひとつ「きのこ」の話

友人のAさんがスタジオを訪ねてきてくれました。
忙しい日々が一段落したようで、少し開放的な気分を取り戻せたようです。
久しぶりにたくさんの話をしました。
あたりが宵の気配に満ちるころまで楽しい時間を過ごしました。
車で立ち去る友人を見送っていたら、ついさっきの話題のひとつ、きのこの話を思い出していました。

もう15年近く前のこと。
当時会社勤めをしていた私は仕事の関係で、どうしても政治の力にすがる必要が生じ、秋のある日永田町議員会館にとある国会議員を訪ねたのでした。
政治家に媚を売るようでしたが、これも仕事と割り切っていましたので格別の思いもわきませんでした。
当日の手土産に選んだのは「ししたけ」。
田舎でもなかなか手に入らないのだから喜んでもらえるだろうと、良かれと思った手土産でした。
議員会館の狭い事務室で腰を下ろして待っていました。
ほどなくして奥の部屋のドアが開いて、議員と先客とが姿を現しました。
先客を見送った件の議員は秘書に向かって「これ、○○さんのお土産だって・・・」
私の眼に入ったものは何とマツタケの箱だったのです。
「う〜ん、3KGぐらいあるかな?」

用件を済ませ、議員会館から出てきた私のかばんの中には、まだししたけの手土産がそっくり残っていました。マツタケ3KGの迫力に負けて、とうとう出しそびれてしまったのです。
結局、長距離を往復した旅行好きの「ししたけ」は、次の晩の我が家の食卓にのぼる羽目になりました。
本来の役には立たなかったししたけですが、その味はやっぱり変わらぬ美味しさであったこと覚えています。
「ししたけ」と聞くと、私はあの議員会館を思い出してしまって、一人苦笑いをしてしまうのです。




写真は恋人坂からの盆地です。霧も晴れて刈り入れも一段と進みました。すぐ前の田んぼでも老農夫がひとり、刈り入れの準備をしていました。遠く飯豊の山塊には早くも白いものが見えていました。万年雪なのか、それとも昨夜の冠雪なのか、とにかくも秋の冷気を感じる今日この頃です。